信じるな疑うな確かめろ

信じてはいけない、疑ってもいけない。大事なことは自分で確かめること。

「寿司」という食文化をGHQから守った苦し紛れの言い訳。魚だけに目から鱗の言い訳のおかげ。

Preparing Sushi Salmon

皆さん、寿司といって思い浮かべるのはこういったものですよね?

Sushi

これはそもそも、"握り寿司"といって江戸発祥のお寿司なんですが、
そもそも、この日本の伝統文化「寿司」って日本発祥じゃないって知ってる方ってどれだけいるんでしょうかね。

(でもこの話しだしたら、テーマからブレるので割愛。笑)

 

簡単に・・・

寿司の起源は、東南アジアにあるとされ、東南アジアの山地の民族が行っていた魚などを穀物に混ぜて長期保存する貯蔵法が起源とされます。これが奈良時代に中国から日本に伝わったのがはじまりとされており、
一般庶民が口にするものではなく、朝廷の貴族や一部の僧などに限られてまして、
当時の寿司は私たちが一般的に「寿司」と言っている酢飯に魚介類を載せて食べるものではなく、

魚を塩と米飯で1年間ほど乳酸発酵させた「なれずし」でした。

お寿司の歴史この調理法に一番近いのが、
・滋賀県の「フナ寿司」
・福井県の「へしこ」
・北陸の「かぶら寿司」などが有名であります。

 

それがなんかんやあって、江戸に入ってきたんですが、
江戸に来た時のお寿司といえば、
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俗にいう、「箱寿司」の事を指しており、今の一口サイズからほど遠い物だったんですが、
そこから少し形を変えて、握り寿司に変わったものの、やっぱりサイズは、でかく(笑)

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この大きさから、食べやすくするための改良がおこなわれて今のサイズになった・・・

と普通なら考えられるはずなんですが、、、

 

この現在の一口サイズのお寿司が一般的になった事には、なんと、あの

GHQ

が関わっていたのです!!

奈良時代に日本に入ってきて1000年近い時を経て、今の形にたどり着きました。

 

 

寿司文化がなくなる

時は終戦後の昭和22年、GHQの支配下となった日本はマッカーサーからある指令が出たのです。

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https://www.digital.archives.go.jp/das/image-j/M0000000000001781194

この飲食営業緊急措置令とは

外国に食料援助を頼んでいる手前、政府は徹底的に取り締まり、ついには決められたわずかな施設以外では、
米のメシは売ってはいけない!!というもの。
定食屋でもレストランでも喫茶店でもなんでも、飲食業者は、米は一切、売ることも食べさせることもできなくなりました。

 

中々痺れる政令ですよね。
日本文化とはいえ、寿司屋さんも例外ではなかったんです。

 

お蕎麦や、丼ものなどの一般的な家庭料理とは違い、寿司とはどうしても
職人の技術が必要な食べ物だった為、店を閉めるとなると寿司が食べれる場所がなくなるんです。
敗戦国であるためこれがいつまで続くかもわからない。
結果的に、
・寿司が食えない
・作る人はいなくなる
・後継が途絶える

「寿司」という文化がなくなりかけた時代があったのです。
GHQ許すまじ!!

そんな状況の中、この状況をどげんかせんといかんと立ち上がった男いたのですが、

男の名は、
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飲食業が行えなかった為、多くのお寿司屋さんが八木さんの元に自然と集まり、

どうにかこうにかならんかと、皆で話し合った。


 

「持参米 鮨委託加工」という答え

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持参米 鮨委託加工とは
お米は各家庭に配給で届いていたので、その米を持ってきてくれたら、
そこに鮨のネタ乗せて握るよ!いう加工代を頂くよという商売。
「あくまで、飲食業ではない!」と知事に啖呵を切った!


ただ、ここで一つ問題が・・・

飲食業だけでなく、漁業も渡航する可能性が軍事に繋がるという理由から制限がかかっていた。

 

「仮に加工という形がGHQからOKが出たとして、魚の準備はどうするのよ?」と突っ込まれた
八木さんは、苦し紛れに、

「海魚は規制かかってるかもしれへんけど、川魚ならええやんな?」と。

 

そういう回答が返ってくると思ってなかった知事は、

「それは魚だけに目から鱗ですわ。」と言ったとか言わなかったとか。(笑)
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実は、僕らが見慣れた寿司1人前10貫っというベースはこの時出来たですよね。


 

この熱意に負け、
昭和22年12月に、なんとこの無理くりなやり方に認可が下りた。
八木さん以上に、下した当時の知事の手腕がすごいんじゃないか?(笑)

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結局、飲食業ではなく、加工業として営業出来るようになったんです!

持ち込みは1号までと決まっていたので、1号を10貫で割ると今の大きさ(78gくらい)になったとか。

当時、全国の寿司屋が廃業に追い込まれた中、

八木さんを中心とした東京の寿司屋連合が、この方法で寿司屋さんを継続でき、
結果的に全国でこれならいけるという事で、「江戸前寿司」が生き残り、今の形となったのです。

 

 

まとめ

八木さんを始めとした江戸の寿司職人たちの熱意がなければ、

「寿司」という文化が失われ、"一貫"の終わりだったかもしれない。

結果的に、ミシュラン上位の殆どが「寿司」であるほど、世界に誇れる寿司という食文化。

 

この歴史の上に、僕らは美味しいご飯を頂けてるという事を

心の片隅にでもいいので、「頂きます」の精神を、
食材となる命だけでなく、この文化を守ってきてくれた先人たち、

現代でその技術を伝承し、寿司をふるまってくれる人、
漁業に携わる人たち、
美味しいお米を作ってくれる農家の人たち、


自分たちの「美味しい」に関わる生きとし生ける全ての存在に感謝を。(笑)
どうせ歴史語るなら、壮大な方がええやん。

なんか。

特に意味はないけど。(笑)

信じるな

疑うな

確かめろ